東京地方裁判所 昭和43年(刑わ)3469号 判決 1970年5月15日
主文
被告人油井泰雄を懲役六月に処する。
この裁判の確定する日から二年間右刑の執行を猶了する。
被告人横田禎夫を懲役六月に処する。
この裁判の確定する日から二年間右刑の執行を猶予する。
被告人池亀信を懲役六月に処する。
この裁判の確定する日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用については、証人横山陽三、島田祥生、長崎憲之、長谷川修一、野口英太郎、福島重吉、塚本喬、小松崎武雄、磯小次郎、伊沢茂、服部恒雄、橋本晴重郎、魚瀬和三郎、四宮宏信、高橋晄正、宇都宮泰英、佐々木智也、大河内一男および三吉譲に対して支給した分の各三分の一を各被告人の負担とする。
理由
(本件犯行に至る経過)
わが国における医師の養成制度としては戦後いわゆるインターン制が導入され、医学部卒業者はインターン生(以下研修生という)として医師の国家試験受験資格取得のため卒業後一年間の研修を義務づけられることとなつたが、この研修生については、研修を受ける病院での教育条件が保障されていないこと、無給であるため経済的地位が不安定であること等種々の問題点を含んでいたことから医学生および研修生の間に根強い不満があつた。昭和三九年に至り、当時医学生の全国組織である医学部学生自治会連合(以下医学連という)はインターン制度の完全廃止を決議し、更に昭和四一年三月に研修生の全国組織である青年医師連合(以下青医連という)がインターン制度の完全廃止を目的として結成され、以後医学連および青医連は右の目的のため共同して、教育条件の悪い市中病院での研修に反対するため、指定病院をボイコットして教育条件のよい大学病院への結集を主張し、また医師の国家試験をボイコットする等の闘争方針をうち出した。これに対して厚生省は、昭和四二年七月、インターン制度に対する前記の批判を受けて医学部卒業者に卒業後直ちに医師国家試験の受験資格を与え、医師の資格を取得したのち二年間以上大学病院又は厚生大臣の指定する病院において臨床研修を受けた者についてはその旨医籍に登録することを内容とする医師法の一部改正案(いわゆる登録医制度、以下この呼称による)を国会に提出した。医学連および青医連は、右登録医制に対して研修中の教育条件が依然として整備されないままに無償の医療労働を実質上義務付けられている点で従前のインターン制と異ならないとして強く反対する一方、各大学の医学部および病院当局に対し、研修先として大学病院を希望する研修生は全員これを受け入れること、および研修カリキュラムの内容について研修生の意向を反映させること等の内容を含むいわゆる研修協約を青医連との間に締結するよう強く働きかけることになつた。
ところで、東京大学医学部においては、昭和四二年の一二月に医学部学生自治会および青医連東大支部よりなされた前記の趣旨の要望に対して、医学部付属病院当局は、登録医制の成立実施を前提としてこれを拒否したため、自治会および青医連支部は、翌四三年一月研修協約の締結を目的としてストライキを決議し、ストライキ中の指導部として全学闘争委員会(以下全学闘という)を選出して同月二九日ストライキに入り、病院当局に対してひきつづき話し合いを要求したが、これに対し、病院当局は、ストライキは違法であるとし、また全学闘および青医連は交渉団体とは認めないという態度で臨み、ここに両者の対立状況が生まれた。
右のような状況が続く中で同年二月一九日、学生および研修生が東大病院構内において東大病院長の上田教授を認めて話し合いを求めたところ、かけつけた医局員と学生らとの間に若干の摩擦を生じたことからいわゆる春見事件が発生し、医学部当局は学生らが病室近くにおいて著しく病院の秩序を乱したとして学生および研修生計一七名に対し退学四名を含む処分方針を固め、大学全体の意思決定機関で総長大河内一男の主宰する評議会に諮つた。同評議会においては、被処分学生らから事情聴取を行なつていない点を異例の処置として問題にしたが、学生らが呼出に応じないのでやむを得ないと医学部が主張したため、右の処分案を了承し、三月一一日にこれを発表した。
これに対して学生らは、右処分は話し合いに応じようとしない医学部当局の責任を学生側に転嫁しようとする不当な政治的な処分であるとし、本人から事情聴取さえしていないのみならず、一七名中の一人である医学部学生粒良邦彦については事件当日九州にいたというアリバイがあり全くの誤認処分である等と主張して強く抗議し処分の白紙撤回を要求した。他方、右粒良のアリバイについては、同月下旬医学部の高橋晄正、原田憲一の両講師による現地調査が行なわれ、アリバイを認める調査結果が発表されたにもかかわらず、医学部を含めた大学当局は粒良処分の基礎となつた証人の氏名を発表することなく、医学部の行つた事実認定の正確さを主張して処分を維持する態度を取り続けた。大学当局のこのような態度に対して学生らは医学部中央館の占拠、卒業式および入学式の阻止等の抗議行動を重ねたが事態は変らず、同年五月一一〇日には国会において登録医制を部手直しした報告医制が医師法の一部改正法として成立した。
全学闘は、同年六月に入つて局面の打開に苦慮した末大学事務の中枢であるいわゆる安田講堂(東京都文京区本郷七丁目三番所在、大講堂)を占拠して大学の機能を麻痺させ、紛争を全学に拡大して闘争の有利な展開を図る他なしとの方針をかため、同月九日に大河内一男総長および豊川行平医学部長に対して、(一)、処分を白紙撤回すること、(二)、ストライキ全般に関して追加処分を行なわないこと、(三)、そのうえで医学部教授会全員を含めた研修問題について話し合いを行なうことを要求し、それが容れられない場合には安田講堂の占拠を含むあらゆる手段をとる旨を通告した。これに対し大学当局は、直ちに翌一〇日安田講堂占拠は容認し得ない旨の告示を発表すると同時に、安田講堂の警備宿泊体制を強化した。この間全学闘の安田講堂占拠の方針は医学部自治会を構成する四学年の各クラスにおいて否決されたにもかかわらず全学闘はこれを無視し、他大学学生の支援を受けてもあくまでもこれを強行する方針を固めた。被告人油井泰雄は、当時東京医科大学の学生で医学連委員長であり、被告人横田禎夫は、当時東京大学医学部自治会の前委員長であり、また被告人池亀信は、当時慈恵会医科大学の学生であつて、いずれも全学闘の右方針を支持していたものである。
(罪となる事実)
被告人らは、昭和四三年六月一五日早暁、全学闘所属の学生や東京医科歯科大学等の学生ら約八〇名と共に安田講堂正面玄関におしかけ、午前四時五〇分ころ警備員の制止を排除し、施錠のある正面玄関扉を押しあけ一団となつて、右講堂に故なく侵入したものである。
(証拠の標目)<略>
(弁護人の主張に対する判断)
一構成要件不該当の主張について、
弁護人は、本件安田講堂のごとき公共施設における管理者の意思は取消すことの許されない合理的、客観的なものでなければならないと解すべきところ、事件後において本件占拠に対する大学当局の評価が変化したことから考えると、本件当時における管理者の推定的意思は被告人らの安田講堂内立ち入りを容認するものであつたと解すべきであるから、建造物侵入罪には該当しないと主張する。
公共施設への立入の許否についての管理者の意思は恣意的なものであつてはならず、当該施設の使用目的に合致した合理的なものでなければならないことは言うまでもないが、本件における管理者であつた大河内一男前総長の安田講堂立入禁止の意思は、全学闘による占拠通告に対して表明されたものであり、右占拠は後述するように大学における学生の抗議行動として正当なものとは認め難いから、これを防止するためにとられた右立入禁止の意思は合理的なものと認めることができる。なるほど大学当局は、後日にいたり、いわゆる確認書において、被告人の本件安田講堂占拠を警察力導入という方法によつて実力で排除したことは誤りであつたとし、また本件安田講堂占拠を含む学生の抗議行動については処分の対象としないとする見解を表明した事実が認められるけれども、被告人らが安田講堂に侵入した当時において管理者の立入禁止の意思が合理的なものであつた以上、その意思に反して行なわれた被告人らの行為が建造物侵入罪に該当しないということはできない。また、大学当局の警察力導入による排除行為が誤りであつたとしても、被告人らの侵入行為を正当化するものではない。
二超法規的違法阻却事由について、
弁護人は、本件における研修協約締結を要求する闘争および春見事件処分の白紙撤回を要求する闘争はいずれも正当であつて、これらの闘争の一環として行なわれた被告人らの本件行為は目的において相当であり、かつこれらの要求に対する医学部を含めた大学当局の対処は著しく不当であつて、被告人らとしてはもはや占拠以外に方法はなくやむを得なかつたものであり、且つ手段としても相当であり、従つて被告人らの本件行為については超法規的違法阻却事由があると主張する。
ところで学生が大学内で自らの要求にもとづいて行なつた行為の目的および手段・方法の相当性を判断するについては、大学内における学生の地位について検討する必要がある。大学内における学生の地位は、わが国においては、従来講義を受けるもの、教育の対象として考えられ、主体的に把握されなかつたうらみがあり、最近における大学制度改革の中心問題となつているのであるが、大学の機能と教育研究の目的に照らして考えると、学生は、教育研究の場としての大学における不可欠の構成員としてその関係する諸問題について一定の発言権を有するものと考えなければならない。その具体的内容については歴史的社会的諸条件を前提としつつ大学内部の慣行として形成されることが望ましいと思われるが、学生が自主的に組織を形成して、その代表を通じもしくは直接に学生の大学構成員としての地位および研究教育の内容に関係のある事項について、大学当局に対して交渉を求めあるいは大学の意思決定もしくは運営について意見を述べることはできると解せられる。本件の前年度において行なわれたいわゆる第一次研修協約闘争において、青医連東大支部と医学部病院当局との間に、東京大学における研修条件に関して、文書による協約が成立したことは、その一つのあらわれである。
そして本件における学生および研修生の目的はいわゆる研修協約の締結と春見事件処分の白紙撤回とであつたが、まず前者について言えば、「協約」という名称の用い方や右協約の形式、内容および交渉の態様等についてはなお幾多の問題があるにしても、インターン制の含む問題点が研修生および学生にとつてその受けるべき教育研究内容や身分地位に直接かかわる利害関係の深いものであることを考えれば、この問題について医学部当局のとつた前記認定のような態度には遺憾な点がなかつたとは言えないのであつてその意味で学生および研修生が、医学部病院当局に対し、研修生との間に研修協約を結ぶべきであるとの要求に出たこと自体は概ね正当であつたと認められる。
次に後者すなわち処分撤回の要求について考察すると、春見事件の処分については、後に評議会によつて設けられた再審査委員会が指摘しているように、研修をめぐる前記対立状況の最中においてその対立から生じた事件について一方の当事者である医学部当局が、他方の当事者である学生および研修生に対してしたものであること、その内容も従来の処分に比して著しく重いこと、手続上も本人の事情聴取が行なわれていないという重大な瑕疵があることに加え、その内の一名である医学部学生粒良邦彦に対する処分が誤認処分である疑いが濃厚であつたにもかかわらず、その疑いが指摘されたのち数ケ月間の長期にわたつて処分決定を固執したこと、その際右粒良処分の証拠となつた医学部当局側の証人の氏名を大河内総長あるいは評議会に対してすら明らかにせず、処分の根拠を説明しようとする努力に欠けていたこと等の事情を考えれば、春見事件に対する処分について大学当局とりわけ医学部当局のとつた態度は被処分者である学生および研修生の人権に対して充分の配慮をした適切なものであつたとは認められず、そのような状況のもとで学生および研修生が処分の白紙撤回を求めることはあながち違法な行為とは認められない。
しかし、本件において右の諸要求を実現するための手段としてとられた安田講堂侵入とそれに続く占拠の正当性については、疑問がある。一般に学生および研修生が大学における地位に基づき大学当局に対して一定の要求を有する場合に、それを実現する方法として、大学の意思決定ないし運営に予め学生の意思を反映させる方法によることが望ましいが、その方法により難い場合において、学生が大学当局に対して一定の実力行使に出ることを全面的に否定することは困難であるとしても、この場合における実力の行使は、授業放棄等の行為はともかくとして、人身に対する暴力の行使、建造物や器物の損壊、あるいは大学職員の制止を物理的に排除して一定の場所を占拠する等の方法は到底許されないものと解する。本件において、被告人らがとつた行為は、前記の医学部学生および研修生の処分撤回の目的を達成するためというのであるが、判示のとおり東京大学全学部の事務部門の中枢である安田講堂に侵入してこれを占拠する行為であり、それによつて大学の事務部門の機能を麻痺させ、大学当局を困惑させることにより、処分撤回の要求を達成しようとした犯行の動機目的は決して正当なものとは言えない。しかも被告人らは本件安田講堂正面玄関扉のガラスを破壊し警備員の制止を排して施錠のある扉を押しあけて侵入したものであつて、侵入にひき続き右講堂内において勤務中の警備職員等を強制的に外部に追い出し、更にその後講堂内に入ろうとした大学職員を実力で阻止したのであつて、このような態様による侵入およびその後の占拠行為は、前記の基準に照らし、正当な目的を達成する行為として許されるものとは到底解されない。従つて被告人らの本件建造物の侵入および占拠の行為は、その動機目的においても、手段方法においても、相当性を欠くものと認められるので、結局本件被告人らの行為は違法性を阻却するものとは考えられない。
三公訴権濫用を理由とする公訴棄却の申立について
弁護人は(一)被告人らの本件行為に実質的違法性を欠いていること、(二)事後に大学当局による宥恕があり、起訴猶予基準に従つて取消をなすべきであつたにもかかわらず公訴を維持しているのは起訴猶予基準を著しく逸脱したものであること、(三)被告人らと共に本件に加功した者は総計八〇名ほどもいたにかかわらず被告人らのみを起訴したのは恣意的、不平等な起訴であり、起訴猶予基準を著しく逸脱したものであること、(四)本件起訴は、本件安田講堂占拠後になされた第二次占拠への先制攻撃として、もりあがろうとした学生らの運動をつぶそうとする政治的意図のもとに行なわれたものであること等の理由により、本件起訴は憲法二一条、同一四条、刑事訴訟法一条、同二四八条に違背し、公訴権濫用にあたることが明らかであるとして公訴棄却の申立を行なうというのである。
しかし、被告人らの本件安田講堂侵入、占拠の行為が、その動機目的においても、社会的に相当な行為で違法性を欠くものと考えられないことは前述のとおりであり、後日になつて大学施設の管理者である総長の交替があり、新総長代行の名において、被告人らの本件行為を排除するため警察力を導入したことの非を認め、占拠学生の処分をする意思のないことが表明されたことは事実であるが、被害者の同意、宥恕が、被告人らの行為に対する起訴を不当とするほどに違法性を減少せしめるためには、その同意、宥恕が被告人らの行為の当時与えられていることを要し、単なる事後における追認、宥恕では足りないのであるから、被告人らの行為の違法性に影響はなく、従つて本件起訴が不当であるとは考えられない。また本件起訴が、起訴猶予を相当とすべき明白な事情があるのに故意に起訴したものと認めるべき証拠はないから、本件公訴の提起が起訴の時点において起訴基準を逸脱する無効なものとは認められず、また公訴の提起後管理者である総長代行の前記のような追認、宥恕があつたからといつて、本件の公訴の取消をしなかつたことが、極めて不当な公訴権の行使であるとは認められない。従つて、弁護人の公訴棄却の申立は、これを容れることができない。
(量刑の事情)
量刑上当裁判所が考慮した点は、次のとおりである。
一、本件被告人らの安田講堂占拠の行為に関しては、大学当局が同年一二月の段階で加藤一郎総長代行による提案の形で、本件行為を含む学生らによる抗議行動については大学側に重大な誤りがあつた以上これを処分の対象とはしないとの意思を表明してこれを事後的に宥恕し、翌四四年一月のいわゆる七学部代表団との確認書においてこれを確認したこと。
二、春見事件に関係した学生らに対する処分とりわけ粒良邦彦に対する処分に関する大学当局の態度が既に詳述したように著しく不適切であり、被告人らの本件講堂占拠は右処分の白紙撤回を要求するという目的をもつて行なわれたものであること。
三、本件がその後の一連のいわゆる東大紛争の拡大の発火点となつたとの検察官の指摘については、被告人らによる本件占拠に対して大学当局が警察力による実力排除という大学における紛争解決の手段として必ずしも適切でない方法によつたためにそれが新たな原因となつて紛争が一挙に大学全体に波及したという一面も無視することができず、被告人らのみを責めることはできないこと。
(法令の適用)
被告人三名の判示所為はいずれも刑法一三〇条、同六〇条、罰金等臨時措置法三条一項に該当するので所定刑中いずれも懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人三名をいずれも懲役六月に処し、刑法二五条一項によりいずれもこの判決の確定する日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人三名に対して主文のとおり負担させることにする。
(浦辺衛 平湯眞人 宮本康昭は転補になつたので署名押印なし)